“風の旅人” として多くの伝説を作ってきたデュエルン・レーフェンス。 愛車 “轟カル号” と共に渡ったXX国からお伝えします。ジオポタ海外支部からの便り

2009年8月31日月曜日

平穏な週末

久しぶりになにもやる事が無い週末を過ごしました。
土曜日の昼頃、我がアパートに美しく着飾った女性達が集まり、玄関やエレベーターホールに色とりどりの風船など飾り付けていました。そのうち白い長大なリムジンが乗り付けられ、どうやらアパートの同じ階の女性の結婚式のようです。
ウクライナの結婚式の話題は以前「キエフ便り」で紹介したので省略します。

3年ぶりにキエフにきて変ったなと思うことが二つあります。
一つはスーパーのレジ嬢の対応! 以前は無愛想でしたが今はにっこり挨拶してくれる。レジ袋も以前はこちらから要求しないと出してくれなかったが、今はむこうから袋必要ですか?と聞いてくる。
昔も今もレジ袋は有料ですが、これは良い事だと思います。ベトナムも有料でした。
近所のミニスーパーには3列のレジがあり、一番奥のレジの女性はいつも袋に商品を入れてくれる。
もしかしたら私だけにサービスかも(笑)

二つ目は、以前はチャイナタウンの中国食材屋に行かないと手に入らなかった寿司の材料がいまではどこのスーパーでも簡単に買えるようになったことです。寿司用の米から、のり巻用の焼き海苔、わさび、瓶詰のガリ、寿司酢、海苔巻き用すだれ等。
きょう久しぶりに手巻き寿司を食べました。
HOKKAIDO CLUBという寿司材料のブランドがありますが、日本や北海道とはなにも関係ないようです。
写真はきよう買ってきた海苔です。
因みに「HOPI」はウクライナ語で「のり」と発音します。

いつも、私の心に風を吹き込んでくれるデュエルンでした。つむじ風の場合もある!(from ペタッチ)

ペタッチさんへ
地中海の清々しい風をお届けしましたが、如何でしたでしょうか?
ベトナムの悪友達はこのような風では到底満足しないので、地中海に燦々と降りそそぐ太陽に輝くビキニの白い肌のつむじ風を吹き込みました。

今回初めて感じたのですが、真っ白い肌のロシア人達はあまり日焼けしませんね!
日本人のように赤くなって、黒くなって、皮が剥けてというのを全く見ませんでした。
もともと色素が少ないから紫外線を吸収しないのでしょうか?

2009年8月29日土曜日

Kemer報告最終回

「地中海クルージングとトルキッシュダンス」

2日目は地中海クルージングを堪能しました。
朝、Kemerのヨットハーバーを出航して夕方戻ってくる8時間コースです。
途中3ヵ所で入り江に入り、泳ぎ、食事、アトラクションなどがあり、小型船に乗り換えて上陸し、観光もありました。
乗客はおそらく100人以上、満席です。
乗客の顔ぶれはロシア人、トルコ人、カザフ人、アジア系ロシア人、イスラエル人、忘れていました。ひとり日本人(笑)

船員は皆な芸達者で、出港してまもなく映画タイタニックのテーマソングに合せて船首でアクロバットな妙技を披露したり、入り江での停泊中も女装した船員が艶かしいトルキッシュダンスを踊ったり、高いマストにスルスルと昇り、そこから一気にジャンプしたり、客を楽しませます。

船上では大音響で音楽が流されていて、トルコの音楽になると決まってトルコの若い女性客が踊り出す。
これが素人とは思えないほど様になる。アンダルシアのフラメンコと同様です。

彼女たちの踊りに魅せられたからと云う訳では無いけれども、翌日の夜、トルキッシュダンスを観に行きました。
8時から9時までがディナータイム、9時から踊りが始まり、終演は11時。踊りはどれもスピード感と激しい動きが特徴で厭きさせない。

アンタルヤからはカッパドキアやエルサレムなどへ安いツアーがたくさんある。
休みがあれば彼方此方足を延ばせるのに残念です。

2009年8月27日木曜日

トルコ人

今回のKemerの旅は2006年のイスタンブールに次いで2度目のトルコですが、日々の仕事はトルコ人相手にやっていますからトルコ人に対する理解度は皆さんよりも深いと思います。

トルコ人は多少アジア人の血が混じっているので、気のせいが親近感があります。
女性はカラス天狗のような鼻をした人が目立ちますが、男性はその特徴が顕著ではない。

男も女も容貌はバランスよく、レベルが高いと思いました。
スラブ民族と比べると彼らほど足は長くないが、日本人に比べれば明らかにスタイルが良い。

ハルハルへ
トルコに行くときはサムライに関するなんらかのグッズ(侍の写真や絵葉書、ミニチュアーの日本刀など)を持参するとトルコ人男性にモテルこと受けあいです。
トルコの旅を目一杯エンジョイして来てください。

2009年8月26日水曜日

KEMER報告その1

トルコのKemerでの短いバカンスからきようの昼前に無事キエフに戻りました。

今回の旅はこれまでの私のスタイルとは少し違うものになりました。
生まれて始めてのパッケージツアーです。
パッケージの内容は航空券とホテルと現地での空港からホテルまでの送迎のみです。

ロシアの大手旅行会社CORAL TRAVELのパッケージです。
早朝4時35分の出発で帰りは朝8時15分のフライトと云う強行軍です。
土曜日の1時にタクシーを手配してもらい、キエフの隣り町に住むカーチャのアパートに行き、お袋さんに見送られて空港に着いたのが2時半、2時間つぶして定刻の4時35分Ukraine International Airlinesのオンボロ B-737は一路Antalya向けて飛び立ちました。

Antalya行きは10分間に3本もある盛況ぶりです。
Antalya空港に到着して、ターミナルの外に出ると各旅行会社の案内所が並んでいて、窓口で旅行の書類を見せると、何番のバスに乗れと指示してくれる。
バスの車内ではロシア人の添乗員が向かえてくれた。
この後、ロシア語の洪水に見舞われる。
AntalyaからKemerまでは旅行会社のマイクロバスで2時間、左側は地中海、右側は険しい岩山が迫っている。
Kemerに着いて驚いた、ホテルでも商店でもタクシーでも路線バスでも当たり前のようにロシア語が使われている。外国人と見ればロシア語で対応するのがここの慣しのようです。
私のように明らかに東洋人と判るのに、それでもロシア語で話かけてくる。
この謎は後に明らかになりました。
ロシア語圏にはカザフスタンのように日本人によく似た国も在るし、ロシア国内には生まれも育ちも国籍もロシアだけれども、民族はアジア人という人々が大勢いる。
Kemerはロシアがトルコに引越して感じです。

カーチャPはトルコは好きだけれども、トルコ人は嫌いだと話していましたが、これはロシア人はじめこのあたりの人の共通する感情ではないかと思いました。
ロシアには1年を通して利用できる海のリゾート地がない。
Kemerをロシアのリゾート化したのは国策に近い策略が感じられます。

2009年8月17日月曜日

ウクライナ女性の気質

きょうの話題はウクライナ女性の気質です。
ウクライナは女性を中心に世の中が回っているのではないかといつも感じています。
ここに住んで、ここで働いて、ここの女性と付き合って見て初めて分かることですが。

あらゆるシーンで女性ばかりが目立ち、男は影が薄いです。
ウクライナの首相も女性だし、古くは帝政ロシアも何代か女帝が治めていました。
私の知る限り、夫婦も亭主の存在が薄く、カップルを観察しても女性がリードをしているようです。
友達関係においても然り、私の女友達に会う時も同様で、時間、遭う場所を決めるのは決まって相手側、会ってから何をするかも全て既に決めている。
私はただそれに従っているだけ、主導権は完全に女性が握っています。
いい歳した爺が若い白人女性を連れ歩いている、と想われたら大違い、こちらが連れられているのです。
それに彼女達は極めて足が速い、長いコンパスでスタスタ歩く、私は小走りでついて行く。

カーチャ・Tは一週間ほどクリミヤに行っていたそうで、きのうは私が以前住んでいたメチニコーバのイタ飯屋で食事をしながらクリミヤの写真や最近の作品など見せてもらった。
その場で彼女の水着の写真やランジェリー姿の写真を何枚かCDRにコピーしてくれたが、むろん皆さんにお見せすることは出来ません。
彼女は再来週から三週間、ウクライナを留守にするので少し寂しい。

来週末からの三連休はカーチャ・Pとトルコの地中海に面した街、アンタルヤに行ってきます。泊りはケメルというリゾートです。
これも、先ほどと同様に、いい歳した爺が若い女性を連れて海外旅行とは、なんとハレンチな!などと早合点しないでください。
連れられて行くのは私の方ですから

彼女はロシアのイルクーツク以外の外国に行った事がない。
それに海は黒海以外の海を見た事が無い
ウクライナ人がビザなしで行ける外国は極めて限られていて、トルコはその少ない中の一つです。
ウクライナはオスマン帝国時代にトルコに侵略されているので潜在的にトルコに対して恐怖感、嫌悪感が多少ある。とくに年配層に強い。
彼女がトルコに興味を持っても、嫁入り前の娘が一人でトルコに行く事は親が許さない。

そこで私が一緒ならば両親も安心して出せるという事です。
云わば保護者代理!

写真は最近の二人のカーチャです。

2009年8月3日月曜日

黒いパスタ挑戦!

きょうはずいぶん久しぶりに何も予定のない休日を過ごしています。

そこで遅い朝食と昼食を一緒にして、例の黒いパスタ料理に挑戦してみました。

具は玉ねぎ、二種類のエビ、輪切りのイカ、にんにく、をオリーブオイルと白ワインで炒め、味付に固形コンソメスープの元を少々加えてみました。

見た目はともかく、極めて美味でした。
じつはきのう高級イタリアンレストランで黒いパスタを食べました。
こちらはきしめんのように幅広いパスタで盛り付けは芸術的に美しい、しかし味は我がパスタの方が美味しいと思いました。自画自賛!

この間オリガさんと一緒に走って以来、彼女の自転車が我が家の玄関に置きっぱなしになっています。

この日の翌日から彼女はワルシャワに出張する予定になっていて、そのために美容院に予約を入れていた。
その美容院が私のアパートの近所らしい、ついでに彼女のお母さんも一緒に美容院へ行くことになっていて自転車を置きに自分の家に戻る時間がなくなったことと、またまた一台しかないエレベーターが故障しているらしい。
(彼女の家は9階建ての最上階にある。)
そこでパラッツ・スポルト駅で彼女のお母さんと落ち合い、3人で地下鉄に乗り、我が家にやって来て、自転車を預けていった。

その後何度も会っているが、自転車を持っていく機会がないので、次に一緒にツーリングするまでしばらくはここに居るようです。

きょう夏らしい暖かい陽気が戻ったので、彼女の自転車を拝借して近くをポタリング
我が愛車に比べるとずっしり重いね!
路面の悪いキエフにはMTBが合っていると思いました。
感心なことにディレイラーなどはキチンと整備されてましたね。

2009年8月2日日曜日

リュブリャナ報告オマケ

すっかり忘れていました。
キエフでの生活はフィルムの早回しのようなスピードで時間が流れて行き、あれから既にたくさんのトピックスが生まれ、二週間前の旅はずいぶん昔のことのように感じます。

くだんのアクシデントはリュブリャナから空港へ向う高速道路で発生しました。

片側二車線の見通しの良い直線コースをタクシーは150〜160キロのスピートで走っていて、私は周りの美しい風景に見とれておりました。
突然、前方のほうでドドーンという音がしたので視線を前方へ向けたら、なんと少し前で乗用車が縦に回転している。横転ではない、体操競技の回転のように縦に回転している! どうしてこのようなことななったのかさっぱり分からない。単独事故なのか、他の車が関係しているのかも分からない。おびただしい部品を撒き散らしながら回転している。
我がBMWのタクシーは飛んでくる部品を避けながら、急制動と巧みなハンドルさばきで辛うじて事故車に追突せずに横をすり抜けることに成功した。
事故車は最後に天地を逆にして止まった。
キャビンは完全に形を無くし、弁当箱のようになっていて、黒い煙を噴き出した。

これらのことが高速走行中の一瞬の出来事です。
こんな派手な事故を目の当たりにするのは初めてのことです。
運が悪ければ事故車に突っ込んでいた可能性は大です。

2009年8月1日土曜日

リュブリャナ報告最終回<PUNK ARTの街>


街をぶらぶら歩いていたら突然極彩色の落書きに埋め尽くされた一角に出ました。
敷地内に入ると周りの建物の壁は全て画または彫刻で埋め尽くされ、異様に雰囲気です。

人っ気がなく、何なのかまったく分からないまま、写真を撮っていたら、物見やぐらみたいなところの上で黒人の女性が一人うたた寝をしていました。
そういえば通りに小さい文字でユースホステルと書いた看板があったような気がします。


どこがユースホステルなのかは分からなかった。

家に帰ってから調べたら"Metelkova"という場所でユーゴ時代は軍の施設で、独立後は旧ユーゴに抵抗していた若い芸術家たちがここを占拠し、芸術家村として活動している場所でした。
軍の牢屋をそのまま利用して、ユースホステルにしている棟もあるようです。
鉄格子の嵌った牢獄体験も良いかもしれません。

この後リュブリャナの中央駅に行って驚いた。
駅に止まっている鉄道車両が全てが同じタッチの落書き(アート?)で埋め尽くされている。
彼らの創作活動に違いない。

話題は変って、中央駅駅舎内にマクドナルドがあって、鉄道駅のマクドナルドだけあって店内には鉄道にまつわる品々が展示してあり、壁にはSL(蒸気機関車)の写真やらSLの巨大な設計図などが貼ってあり、鉄道マニアにはタマラナイ!マックでした。

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