“風の旅人” として多くの伝説を作ってきたデュエルン・レーフェンス。 愛車 “轟カル号” と共に渡ったXX国からお伝えします。ジオポタ海外支部からの便り

2009年8月26日水曜日

KEMER報告その1

トルコのKemerでの短いバカンスからきようの昼前に無事キエフに戻りました。

今回の旅はこれまでの私のスタイルとは少し違うものになりました。
生まれて始めてのパッケージツアーです。
パッケージの内容は航空券とホテルと現地での空港からホテルまでの送迎のみです。

ロシアの大手旅行会社CORAL TRAVELのパッケージです。
早朝4時35分の出発で帰りは朝8時15分のフライトと云う強行軍です。
土曜日の1時にタクシーを手配してもらい、キエフの隣り町に住むカーチャのアパートに行き、お袋さんに見送られて空港に着いたのが2時半、2時間つぶして定刻の4時35分Ukraine International Airlinesのオンボロ B-737は一路Antalya向けて飛び立ちました。

Antalya行きは10分間に3本もある盛況ぶりです。
Antalya空港に到着して、ターミナルの外に出ると各旅行会社の案内所が並んでいて、窓口で旅行の書類を見せると、何番のバスに乗れと指示してくれる。
バスの車内ではロシア人の添乗員が向かえてくれた。
この後、ロシア語の洪水に見舞われる。
AntalyaからKemerまでは旅行会社のマイクロバスで2時間、左側は地中海、右側は険しい岩山が迫っている。
Kemerに着いて驚いた、ホテルでも商店でもタクシーでも路線バスでも当たり前のようにロシア語が使われている。外国人と見ればロシア語で対応するのがここの慣しのようです。
私のように明らかに東洋人と判るのに、それでもロシア語で話かけてくる。
この謎は後に明らかになりました。
ロシア語圏にはカザフスタンのように日本人によく似た国も在るし、ロシア国内には生まれも育ちも国籍もロシアだけれども、民族はアジア人という人々が大勢いる。
Kemerはロシアがトルコに引越して感じです。

カーチャPはトルコは好きだけれども、トルコ人は嫌いだと話していましたが、これはロシア人はじめこのあたりの人の共通する感情ではないかと思いました。
ロシアには1年を通して利用できる海のリゾート地がない。
Kemerをロシアのリゾート化したのは国策に近い策略が感じられます。

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