“風の旅人” として多くの伝説を作ってきたデュエルン・レーフェンス。 愛車 “轟カル号” と共に渡ったXX国からお伝えします。ジオポタ海外支部からの便り

2010年1月24日日曜日

イスタンブール報告その1<二つの終着駅>

正月どうしてイスタンブールかと言えば理由は二つあります。

ヨーロッパにいる日本人が年末年始にかけて一斉に帰国するのでチケットが取り難かったのと、帰国後に病院、役所がやっているときの方が有効に動けること。
正月に極寒のキエフで一人過したくなかった。
の二点です。
そのような訳で、カメラマン・カーチャと連れだってイスタンブール撮影旅行をする事になりました。
イスタンブールは二度目なのでもっぱら私がガイド役。
イスタンブールはご存知のようにボスポラス海峡を隔てて、ヨーロッパ側とアジア側にまたがって街が開けています。有名なモスクなどがある旧市街はヨーロッパ側にあります。
アジア側にはウシクダール(USKUDAR)の街があります。幼少の頃「ウシクダーラ--------」意味不明の歌詞の流行歌が流行っていましたが、これがイスタンブールにある街の名前であったことは、2006年に初めてイスタンブールに来るまで知りませんでした。

ボスポラス海峡には2本の吊り橋がかかり、大成建設が海底トンネルの工事もやっていたと思います。
しかし、一般の人々の足はフェリーです。たくさんのフェリーが数分単位で航行しています。しかも安い!
日本円で約100円。トラムと共通のメダルで乗れるフェリーも多くあります。
ヨーロッパ側とアジア側の両方に鉄道の終着駅があります。
ヨーロッパ側(SIRKECI駅)の駅舎は規模も小さく、古い母屋は閉鎖されていました。それに対してアジア側(HAYDARPASA駅)の駅舎は規模も大きく立派でしかも現役、モスクのようなモザイクの装飾とステンドグラスが印象的です。
何故か両方の駅前には極めて小さい蒸気機関車が鎮座しています。SLマニアにはタマラナイ!
写真の美女はアジア側の駅で見かけたトルコ女性です。

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