“風の旅人” として多くの伝説を作ってきたデュエルン・レーフェンス。 愛車 “轟カル号” と共に渡ったXX国からお伝えします。ジオポタ海外支部からの便り

2015年6月30日火曜日

Re: きょうの町ポタその2 鉄橋

鉄道橋歩いてみたいです。口笛が聞こえてきそうです。
 --キルピコンナ


私は大の鉄道模型マニアですが、鉄道全般、特に鉄橋も大いに興味があります。
余部鉄橋は鉄道遺産として保存すべきで、解体したのはとても残念です。
ベトナムに赴任していた時に、ハノイのロンビエン橋を二度にわたり見てきましたがなかなか雰囲気良い橋です。
ご存じのようにこの橋はパリのエッフェル塔の設計者として有名なエッフェルの設計と言われています。

日曜日に紹介したくだんの鉄橋ですが、きょう確認したところやはりイギリス植民地時代のイギリスのよる建造だそうです。
遠くに見える鉄橋の写真は並んで架っている道路橋から撮ったものですが、この橋さらに古く、オランダの植民地時代にオランダが建設したものです。
車道の外側に歩行者専用路があり、立派なものです。
現在はその歩行者専用路部分の床がところどころ抜け落ちているので通行禁止です。
次回はその道路橋の写真を撮りに行くつもりですが、ただし、撮影スポットを見つけるのが大変です。
舗装路以外の茂みに立ち入ることが出来ない為です。
何故ならばコブラなどの毒ヘビが生息しているらしい。

2015年6月29日月曜日

スリランカの文字

ランプータンに釈迦頭、おいしそうです!
それから鉄道関係も興味津々。
それにしても時刻表の文字は、カエルさんやだるまさんみたいでカワイイですね~
これは何語、何文字というのでしょうか?
--サリーナ


きょう、ビザの延長申請の為にコロンボの入国管理事務所に行ってきました。
5,60年前の役所といった感じの建物で、ビザ延長は3階でした。
(この国は1階がグランドフロアーなので実際は4階)
たいして広くないホールに得体の知れない人々が数百人詰めかけています。
ビザ延長だから当然外国人なのでしょう。
お役所仕事は万国共通でどこでも非能率です。
受付でパスポートと申請書を渡して番号札をもらう。
次に、所定のブースに案内されて面接、何の質問もなく、ただ何か月延長が希望か聞かれたのみ。
つぎに自分の番号が呼ばれるまでひたすら待つ。この間一時間半、
パスポートと書類を受け取って、更新料を別の窓口で払う。約3000円
これで終わりかと思ったらまだパスポートにスタンプが押していない。
それから待つこと更に一時間半、完了まで3時間半もかかりました。
海外でビザの申請は何度もしましたが、ビザ延長はインドに次いで二度目です。
今日はくたびれ果てて、仕事をする気にもなれず、焼け酒を飲んでいるところです。

シンハラ文字
その入国管理事務所で各所の表示をしげしげ眺めていると、丸っこい文字二種類と英語の三つの言語で書かれていることが分かりました。

あとで調べてみると、丸っこい文字がシンハラ語で丸っこいけれども多少文字らしい。
体裁を整えているのがタミル文字なそうです。

タミル文字
スリランカの体制はシンハラ人ですが、次いで多いのがタミル人です。
26年もの間、この二つの民族による内戦が続きました。
現在は内戦が終了したので、二つの民族の言語を共に国語と定めている訳です。


2015年6月28日日曜日

きょうの町ポタその2 鉄橋

現在滞在しているネゴンボから北へいったところに鉄道橋があることが分かり、見に行ってきました。

途中、ネゴンボ駅から二つ目のコッホチカーダ駅に寄る。片面一面ホームの極めて小さい駅でした。ホームのベンチには列車の到着を待つ乗客がかなりいました。

退避線に長い編成の客車が半ば朽ち果てて放置されています。内、一両は完全に真ん中で折れています。自然に朽ち果てたのか、長い内戦で破壊されたものか定かではありません。

駅の壁に架っていた時刻表ですが、解読不能です。

そのあと、マハオヤ川に架る鉄橋を見てきました。


鉄橋の近くまで行ける道が見つからないので、踏切番に自転車を見てもらい、線路を歩いて行きました。

明らかにイギリスの植民地時代に架けられた鉄橋で良い雰囲気です。

きょうの町ポタその1

ここは何の娯楽もなく、面白いテレビもなく、インターネットの動画も見られません。通信速度がおそろしく遅いためです。トロピカルフルーツを除き、概して食べ物は不味く、粗末なつまみでビールを飲むのと、週末のサイクリングが唯一のささやかな息抜きです。

キエフのゴミ回収車はメルセデスでしたが、ここはトラクターです。

まとまった場所にゴミ集積場があるのではなく、めいめい自分の家の前に出しているので、回収は大変です。

通り掛かりに見た貸し宴会場です、このネーミング、日本人ならば利用を控えるかも知れません。

ランブータン売りの親子、今が旬なのかあちこちで売っています。

ベトナムに比べると粒が大きい、一個9円です。

ついでに釈迦頭も買いました。こちらはかなり小粒ですが甘味は変わらない。

宝くじ売り場です。日本と違い、スピーカーで煩く客引きをしています。

ドリアンも旬のようです。

手前の芋は山芋のように見えたので次の機会に試してみます。

もし山芋ならぱ千切りにして醤油をかければ良いつまみになります。

世界最大の果物、ジャックフルーツも出ています。

ベトナム同様、これは道端の木にも無造作になっています。


2015年6月22日月曜日

田舎道ポタ

先週に続き、今日は田舎道ポタをしてきました。

先週借りた貸自転車屋に行ったら閉まっているので、ほかの店を探したら、小さな旅行代理店の看板に貸自転車の文字あった。自転車は置いてなく、店の奥でテレビを見ていた、うさん臭そうなおっさんに、貸自転車あるか聞いたところ無いという。近くに他の貸自転車屋があるか尋ねたら、一日かというので、そうだと答えると、それでは家にもあるという。いくらかと聞くと400だという。他の店では250で借りたというと、300で良いと云う。50ルピー高いけれども経済大国から来て45円渋るのもみっともないので、これで手を打つ。

おっさんが奥に自転車を取りに行っている間、奥さんがあいさつに顔を出す。すこぶる上品な婦人。そのあと妙齢なお嬢さんが現れた。これまたスタイル抜群の美女、学生だという。そうこうしている内におっさんが錆びだらけのママチャリをもって出てきた。なにを思ったのか、もっと新しい自転車がある、といって今度は錆のないマウンテンバイク持ってきた。私は買い物もするのでカゴが必要、先のママチャリを借りることに決定。料金は返す時でいいという。何の書類もなく、デポジットもなく、100%信用している様子。

ここで使われている自転車の大半は日本で廃棄された自転車です。泥除けに漢字で名前が書いてあるものや、さまざまな日本のステッカーが残っています。もしかして、むかし盗まれた自転車に会えるかも知れません。

きょうはネゴンボから田舎道を南下して、右側はインド洋、左側はNegombo Lagoonという潟にに挟まれた極めて細いところを走ってきました。道の両側に水面が見えるスポットを期待したのですが、ありませんでした。狭いといっても2,3百メートルはあり、ヤシの木が生い茂っていて、道路からは海も見えませんでした。町で声をかけてくるのは物売りかトゥクトゥクのドライバーぐらいのものですが、田舎道で出会う人々は子供から老人まで笑顔で挨拶をする。

道端の金魚売り、金魚と熱帯魚があり、一袋90円。全部売れても大した稼ぎにならないね。

途中で見かけたブライダルショップ、ウエディングドレスの他に、結婚式の飾りつけなども扱っているようです。

潟には白サギがたくさん群れていました。

この道で豪邸をたくさん見ました。この家は道路から10メートルほど下がったところに門があり、そこから母屋までさらに距離がありました。

何かの自転車レースに遭遇、普通のロードレーサーではないようです。
タイヤが太め、スプロケットが一枚だけ。
伴走しているオートバイの後ろの人間はバケツの水を選手にかけています。

こんな田舎道が延々続きます。

この辺りの海はひと一人いません。

遠くにキリストの像が建っている墓地が現れました。

パブリック・ビーチです。ホテルが立ち並んでいる地域の海はプライベート・ビーチなので一般の人は立ち入りできません。日本以外はどこでも共通のルールです。

ある海に出る狭い道にたくさんのバイクやトゥクトゥク、車が出入りしているので行ってみたら、公共の海水浴場でした。砂浜には飲み物、果物、アイスクリーム屋など移動式キオスクが出店しています。シャワー室も備わっていました。

2015年6月21日日曜日

ジェフリー・バワ その2

スリランカが生んだ天才建築家ジェフリー・バワの真骨頂は何といってもリゾートホテルです。

自然と共生するリゾートホテルのスタイルを確立したことで有名です。

私のホテルから数百メートル行ったところに彼がデザインしたホテルが三軒並んで建っています。

その内の一つは改修工事中で閉鎖されていました。

これらのホテルはジェットウイングと云うシリーズで、ジェットウイング・ビーチ・ホテル、ジェットウイング・ブルー・ホテルです。

ジェットウイング・ビーチ・ホテルはエントランスの真正面に海が見えていて、一幅の絵のようです。

庭に水が満たされていて、極めて幻想的です。

ジェットウイング・ブルー・ホテルのエントランスはスロープで半階上がったところにあり、エントランスホールから更に半階上がったところがラウンジで、その先はベランダに出ます。

エントランスホールから半階下がったところがレストランです。

このどこからも海が望めます。

彼の建築は奇をてらったところがなく、贅沢なところもなく、極めて質素で簡潔ですが、そこかしこに心地良さが満ちています。

2015年6月20日土曜日

ジェフリー・バワ その1

スリランカが生んだ天才建築家ジェフリー・バワのお話を二回に分けてお届けします。

ジェフリー・バワは1919年に生まれて、2003年に84歳で亡くなるまで現役で活躍した建築家です。

不勉強で、私はここに来るまでほとんどこの建築家のことは知りませんでしたが、実際に彼の作品を見て感動しました。

一回目はコロンボにある、彼のアトリエとシーママラカヤ寺院を紹介します。

アトリエは現役時代に仕事場として使っていた建物で、現在は道路側が土産店、中庭を挟んで奥が喫茶店として使われていました。

細い道路から4,5メートル下がったところに入口があり、狭い廊下を進むと池を囲んだ中庭に出ます。

池の両側は屋根の付いた回廊になり、右側はギャラリーで左側は砂利敷の坪庭になっています。この広さと高さのスケール感が絶妙です。


シーママラカヤ寺院はベイラ湖という小さな湖に浮かぶ極めて小さなお御堂です。

くり型が施された縦格子が印象的です。




最後の写真はおまけ!
日蔭になっている寺院の離れに佇む女性です。

2015年6月18日木曜日

スリランカの鉄道

鉄道マニアとしては、何を差し置いても鉄道に関する情報だけはチェックしなければと思い、見てきました。

ニゴンボ駅は田舎の駅そのもの、単線なので駅で上下線か退避します。昔懐かしいタブレットの交換をしていました。

スリランカの鉄道の延長は約1500キロあるそうです。軌道はインド、パキスタンなどと同様に広軌(1676mm)です。1676mmというゲージは現在 運行している鉄道としては事実上、世界最大です。スペインやロシアよりも広いです。


1676mmゲージの採用には英国の植民地であったことが大きくかかわっています。

英国では鉄道の黎明期から標準軌道派と広軌派との論争が延々と闘わされていて、最終的には標準軌道派が勝って、英国の幹線はすべて標準軌道に統一されました。本国で果たせなかった夢を植民地で実行したと考えられます。

インドやパキスタン、セイロンに派遣された英国の鉄道技師はおそらく広軌派だったのでしょう。

1676mmゲージの線路はさすがに広いです。木の枕木をプレコンの枕木に交換作業が進められています。 

ここニゴンボにも鉄道が通っており、南へ行けばコロンボです。国際空港へも線路が伸びていますが、旅客列車の運行はなく、航空燃料を輸送する貨物列車だけでした。

スリランカは電化されておらず、すべてディーゼルです。

ディーゼル列車は、広軌だけあって車体は巨大です。

いつもドアが開けっ放しなのでドアが無いのかと思いましたがよく見ると扉はありました。

エアコンのない車内は暑すぎるので風通しのためにドアを開けて走るのでしょう。





参加ユーザー

Powered by Blogger.